パンカクのイグジットと新たな旅立ち

前回、サンフランシスコからラスベガスへ引っ越しますという報告をしてから1ヶ月が経ちました。実はこの間、怒涛の1ヶ月でした。

まず、あの直後にパンカクの事業がコロプラに譲渡されることが決まりました。そして、7月31日をもってパンカクを正式に退職することが決まり、この4年間の旅は終着点へとたどりつきました。

思い返せば、2009年にインフォテリアUSAを閉鎖することが決まったとき、日本発のiPhoneアプリとして堂々の全米No.1を獲得したLightBikeというゲームを作っている会社から、「このゲームの人気を軸に対戦ゲームのプラットフォームを作って一緒に米国市場を攻めないか?」と、代表のやんくんから声をかけてもらったのが、パンカクとの運命の出会いでした。

その後、Pankiaと名付けられたそのプラットフォームは、iOS / Android / サーバサイドそれぞれ1-3名からなる少数精鋭のチームで開発され、2010年のリリースからの3年間で3000万人を超えるユーザに使われ、いまでも一日あたり数万人の新規ユーザが増え続ける大規模なシステム基盤となりました。

P2Pによるデバイス間通信のため、独自のSTUN/ICEサーバやゲーム開始までの遅延の少ないUDPホールパンチングとマッチメーキングのプロトコルをゼロから設計したり、あまり通常のプロジェクトでは経験できないような技術的チャレンジがたくさんありました。

Pankiaのデビュー・タイトルとなったLightBike2が2010年にリリースされたとき、初日にいきなり10万ダウンロードを突破して、米国AppStoreの無料総合ランキングでNo.6まで上り詰め、サーバ増強にあたふたしたのは良い思い出です。LightBike2のトップ・プレイヤーが集まるアメリカのコミュニティから一周年の記念大会にパンカク代表?として招待してもらって、対戦に参加して、ちょっとは手加減してくれるのかとおもったら容赦なく秒殺でボコられたり。そういうコミュニティはあちこちでゆるく長く続いていて、たまにTwitterなんかで会話したりもして。

その後もヒットタイトルに恵まれて、米国で3位のチャリ走、日本で1位のなめこ栽培キットなど、システム的な限界を突破するようなタイトルが出てくるたびに、トラブルでご迷惑をかけつつも、システムをさらに次のステージへとスケールさせる学びがあり、バックエンド・エンジニア冥利に尽きる仕事の日々でした。自分よりも技術的に秀でたメンバーがクライアント・サイドの仕事をしてくれていたので、とくにクライアント・サイドの裁量が大きいスマートフォンではその安心感というのはすごく大きくて、最適化の議論をするときにはサーバとクライアントの両面から協力して問題の解決にあたることができ、ずいぶんと助けてもらいました。

マネタイズで苦しみ、ソーシャルゲームのブームに翻弄され、うまくいかないことも多かったけれども、どうにかこうにか、やっと出口までたどり着くことができました。ほとんどのパンカク社員はコロプラに移籍しますが、このコロプラという会社は「位置ゲー」というカテゴリ自体を生み出したパイオニアであり、極めて優秀なチームによって率いられています。社風はパンカクと違うけれども、プロダクト中心のスタートアップ・カルチャーがあり、戦略に明確さがあり、規律があります。とても学ぶことが多いことでしょう。立ちミーティングが出来るホワイトボード付きのデスクとかのアイデアも、これ自体が商品化できそうな勢い。一方、パンカク側にはエッジの効いたエンジニア中心のカルチャーがあり、Unity含めハイエンドのゲーム開発ノウハウがあります。この両者がミックスされ、切磋琢磨していくことで、さらに良い結果につながっていくことでしょう。他には考えられないというぐらい、ベストな嫁ぎ先であったと思います。

それで、私自身はというと、コロプラはすごく魅力的な会社ではあるのですが、8月から2ヶ月ほどPankiaの引き継ぎ関連の仕事をやったのち、パートナーと一緒に新しくスタートアップをはじめることにしました。今、そのための仕込みを同時に進めているところです。

Pankiaは、米国市場を目指したけれども、最終的に日本市場が中心になってしまった。決してそれ自体が悪いことではないし、いろいろな状況を考えると必然といえることなのかもしれない。だけど、やっぱりもう一度、この米国市場にチャレンジしたい。そう考えてのことです。

この件は、また機会を改めて書きたいと思います。